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私たちの棲むところ essay

地球生命圏

誰もが知っているように、私たちは地球という宇宙空間に浮かぶ惑星のひとつに住んでいます。浮かぶとは言っても本当は、太陽から見てその周りを時速10万kmほどの猛烈な速さで周回しているのですが、私たちが日々生活する上では、まったくそんなことを感じることはなく、宇宙探査機から送られてくる地球の映像なんかを見ると、まるで宇宙空間にぽっかりと浮かんでいるかのようです。
そんな地球の表層の部分で、私たち人間の他に動物や植物、微生物など全ての生きものが共に支えあいながら、生命圏という類稀なる世界をつくり、ひとつの調和を成して生きています。それを生態系(Ecosystem)と呼んだりもします。

しかし、とても残念なことですが、その中で人間だけが長く維持されていた環境を変え、数を増やし、生態系のバランスを損ない続けている、ということは皆さんもよく御存知だとは思います。もちろん家をつくることも、その敷地の環境を変え、また材料の採取地・加工地の環境を変え、輸送や建設のために大量のエネルギーを消費するという意味において、その一端を担っていることに変わりはありません。

ところで驚くべきことですが、生態系にはそれ自体に、崩れたバランスを調整しようとする復元力が備わっています。ですがそれを担っているのも、人間を除く生きもの達なのです。本来ならば私たちもその仲間に入るはずなのですが、膨らみ続ける欲望とそれに押された容赦ない環境破壊は、まるで生態系の一員であることを放棄してしまったかのようです。しかし、私たち人間だけが免罪符を手にすることなどできないのです。

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海と陸との境界は多様な生命の宝庫。かつて生命は海から陸へと広がってきました。

それでは、どうすることが必要なのでしょう。私たちはもはや環境に手を加えることなしに生きていくことは不可能です。かつて日本列島においては、縄文時代に焼畑と定住のために木の伐採が少しずつ始まり、それに続いて稲作を拡大するために森林を草原に変え始めた頃からそれは徐々に顕著になりました。ですが、産業革命が起こる頃までは、環境のカタチを変えつつも生態系のバランスはあるレベルで保たれていたようです。

そのひとつの例が「里山」と呼ばれているものです。「里山」とは人が燃料や食料などの資源を得ながら管理を行っていた農村とそれを取り囲む自然環境のことですが、人の手が加わり続けることが多様な生物の生存に貢献していました。また、都市の例では、ゴミというものが存在しなかった江戸のリサイクル社会がありました。
余談ですが、人間以外の生態系にはもともとゴミというものがなく、ある生物が出すものや亡骸はすべて他の生物のエサ(エネルギー、栄養)や住処(巣)になっています。
話は戻って、このように私たちのご先祖様は、自然環境と実にうまく共生していたのです。そこには社会の大きさに見合った循環システムが見事に構築されていました。

現在、私たちに関わる社会は地球規模にまで広がり、状況を複雑にしています。大量のエネルギーを消費し、モノは知らないところから運ばれてき、また運ばれて行きます。そして多くはどこかで廃棄されます。たとえどこかでリサイクルされるとしても大量のエネルギーが必要なのです。省エネルギーや自然エネルギーの技術の向上は非常に重要なことですが、それだけでは根本的な解決には至らないのではないでしょうか。
小さなことでも構わない。日々の暮らしの中に自然の循環のかけらを少しずつでも取り入れていくこと。そんなことが大切なような気がしています。

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民家の屋根に使われていた後の古い茅(カヤ)は、田畑の肥料となりました。里山では家づくりも農耕システムの循環に組み込まれていました。

例えば、家の庭先にハーブや実のなる植物を植えてみる。そこから土壌を汚染しないように農薬を使わない方法を工夫してみたり、台所から出た生ゴミや落葉を堆肥にしてみる。できた実はやって来る鳥にも分けてあげる。(鳥のフンは栄養分となりますし、そこに別の実の種も混ざっていて芽が出たり・・・。ついでに虫も啄ばんで行ってくれたりして・・・。)また種を残して次の年に蒔いてみる。そんな循環への小さな関わりは、日々の生活に充実をもたらしてくれはしないでしょうか。その積み重なりが、やがては自然環境との共生につながっていくように思います。
微笑ましく、意味をともなうものは自然と次の世代に受け継がれていくものですし、そんな次の世代へのバトンタッチも大切な循環のひとつのように感じられます。人と人との共生も自然に広がっていくのではないでしょうか。

家づくりというのは、これまでお話したような地球環境の中で、人が快適な場所を確保するための行為に他ならないと思っています。人それぞれ、何を快適と感じるかには微妙な違いはあるとは思いますが、雨風から身を守ったり、あたたかな家族生活を営んだりという基本的なことは竪穴式住居の時代から長く続いてきたことですし、そこを出発点として快適を求め続けること自体はこれからも変わらないことでしょう。ですが、過剰に求めることに疑問を持ち、充足感を知ること。また、生きものとしての人間にとって、本当の豊かさとは一体どういうものなのかということを含め、私たちが家づくりを行う、この地球生命圏について、もう一度思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

(2008年12月 記、2017年3月 修正)

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